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ストックが咲き始めました。たくさんいたミツバチが飛来していません?
農作業をしていると“ブーンとかすかに音が聴こえてくる、微妙なかすれ音なのでミツバチが近くにいるのかなと、周囲を探してみるが見つけることができないので必要以上にその音の方向を探ると、上空にわずかに動く物がその正体だ、「ドローンだ」近くの消防署が訓練のため飛行テストしているのだ。ドローンとはハチの羽ばたく音のこととある。
なるほどミツバチの羽ばたく音と聞き間違えても仕方ない。
ドローンの話ではなくミツバチの話をしてみます。嘗て早春の装いがあちこちで見えはじめると、必ず花にミツバチが飛来していたようだが、、今日この頃、群生している菜の花にミツバチを見つけるのは珍しいという状況になっています。
見つけることができてとしてもほとんどが、在来種でない西洋ミツバチです、夏になるとスズメバチの出現に悩ませられるほどがギャング蜂の増殖に悩まされる有様だ。
というよりはミツバチそのものが激減しています。
堤未果 著「日本が売られる」より転記
2015年5月。厚労省が、ネオニコチノイド系農薬であるクロチアニジンとアセタミプリドの残留農薬基準を大幅に緩和したことは、ほとんど知られていない。
ネオニコチノイドとは、「害虫だけに毒になり、私たちには安全」を謳(うた)いながら市場に登場した「夢の農薬」だ。
その効き目たるや抜群で、水によく溶け、土に染みこみ、一度まくと数ヶ月から数年間土壌にしっかり残留し、虫の神経に作用する毒性を発揮し続ける。
ネオニコチノイド系農薬の出現で明らかに異変が起きたのは、ミツバチの生態系だ。
ヨーロッパではミツバチの現象や大量死が相次ぎ、アメリカ、カナダ、日本や中国では、ハチたちが巣から急に消える「蜂群崩壊症候群(はちぐんほうかいしょうこうぐん)」が次々に報告され始める。
蜂蜜を作るだけではなく、花粉を運び植物を受粉させるミツバチがいなくなることは、人間の食料生産の終焉(しゅうえん)を意味する。
危機感を持った各国の研究機関は、慌てて原因を調査し始めた。タバコのニコチンに似た神経毒を持つネオニコチノイドは、虫の神経を狂わせる。そのため方向感覚がおかしくなって、巣に戻れなくなってしまうのではないか。欧州の科学者たちはそう結論づけた。
2013年12月。EUは、欧州食品安全機関(EFSA)の、「一部ネオニコチノイド系農薬に子供の脳や神経系などへの発達性神経毒性がある」との科学的見解に基づき、安全性が確定するまで、ネオニコチノイド系農薬(クロチアニジン、イリダクロプリド、チアメトキサム)を主成分とする全殺虫剤の使用を一部禁止した(その後2018年に全面禁止)
では日本ではどうだろう?
2010年には日本農業新聞が、北海道など全国22カ所でのミツバチ死滅被害報告を発表、ハチの死骸(しがい)92%から、ネオニコチノイド農薬が検出されている。
だが米国のミツバチ大量死現場を視察した日本政府が出した結論は、福島原発事故後に国民が繰り返し聞かされたのと同じ、あの台詞(せりふ)だった。
「ミツバチの大量死の原因は、ストレスです。」
そして日本政府のお墨付きを得たネオニコチノイド農薬は、猛スピードで使用量が拡大してゆく。
だが一体なんだって、こんなに農薬が必要なのか?
日本中の農家を悩ませ、大量のネオニコチノイド系農薬を使わせる「カメムシ案件」の実態を知ったら、消費者は仰天するだろう。
カメムシがコメの穂を吸う時に現れる「黒い点」がついたコメが、農家が出荷する時の検査で引っかかるのだ。安全性にも味にも影響はないが、見た目が悪い「斑点米(はんてん)」は、その混入率でコメの等級が下がり取引価格が安くなるため、農家はカメムシ駆除にネオニコチノイドを何度も使う。
だが、その玄米が精米され店に並ぶ時には、等級表示はどこにも書いていないのだ。
見た目で等級を上げるためだけに農家に余分な農薬代と手間をかけさせ、必要以上の農薬が使われたコメを消費者に食べさせるこの検査は、果たして本当に必要なのだろうか?
<受粉するミツバチがいなくなったら、今後どうやって農作物を作ればいいのだろう?>
<人間の手で1つ1つ受粉することなど、想像するだけで気が遠くなるではないか>
だが、自らのおろかさに立ち止まろうとする人間を、科学技術は高速で追い越してゆく。
ハバード大学のワース研究所では、2013年から、この問題を解決する素晴らしいアイテムを開発している。人工筋肉でそれを飛び、ハチと同じように受粉作業を行う、1円玉サイズのロボットミツバチ、「ロボビー」だ。
ロボットミツバチ
日本でもドローンを使った受粉実験が、つくば市や青森県で成功している。
開発者たちはいう。「ロボットバチの受粉が普及すれば、ミツバチの代わりをしてくれる。環境にも生態系にも優しくて、まさに一石二鳥だろう?」
だが日米両政府は、最新技術は歓迎すれど、農薬の使用を減らす方にはあまり関心がないようだ。
2016年7月。日本政府はドローンによる農薬の空中散布を解禁した。
その後、散布可能な農薬の種類を一気に271種類に拡大し、いつの間にか日本人の主食である稲にまで、ネオニコチノイド農薬がドローンで散布されている。
転記おわり
2020年の人吉球磨水害から2年が過ぎようとしている、4~5ヘクタールの農地が復旧めども立たず都市計画に変更され、古い町並みは破壊されメーカーのマンション建設が目につく。
驚いたことに地方創生のため人吉市は、スーパーシティ構想に公募している。
中国のスマートシティー地区ではただならぬ事態に陥っている。
夜空から黒い無数の物体が落ちてくる、鳥のようでもあるが小型のドローンが事故ったのか、飛行できず飛来してきた映像がTwitter(ツイター)に投稿されていた。
紛れなく監視カメラの役割か、それか無数のドローンが情報を発信しているのかもしれない。
豊かな生活と便利な空間をうたい文句に、自由な空間を奪うロボットミツバチが飛び交う都市にしたいのだろうか。そうならないことを祈る。
少年「空から何か降ってくるんだけど」スマフォで知り合いに話している。
留学生の学生「私たちを監視していたんじゃない? 5Gを照射しているかもよ!!」
スマートシティーの脅威を知らない少年少女たち、現在大変なことがおきている。
2021年人吉球磨の桜の開花は、3月29日現在でほぼ終わっている
人吉球磨地域の周辺の桜は満開かこれから咲こうとしているのに、先月の21日頃には市房ダムの桜は満開を過ぎていた。
郡市内のあちこちで八重桜、梨の花、ツツジの花が咲き始めている、天候が初夏の予報が度々でて,その通りに時間が進んでいるようだ! 曇りの予報の時、晴れている日が結構多かった。
3月下旬というのに春と初夏を体感しています。昨年7月の災害で農園の地域一帯が激変してしまった。地域の住民が仮設に移動し、土砂が流入した農地には、菜の花の群生が見られる
昨年10月下旬にカラシナを10アールほど蒔いたのだが、近年、冬に梅雨時のような雨が降るので、菜の花の種をまいても発芽したのに腐ってしまう。菜の花をバラまくことはできず、蒔いたあと覆土してやらないと菜の花畑は、早春に見ることはできない。
自然は偉大なのか、菜の花のプロジェクトをやっている隣の山江村の農地の菜の花畑より、災害菜の花は災害地を菜の花畑に変えてしまった。
晴天の秋空に羊雲が広がり始めた、夕焼けになると明日は晴れるという、朝焼けはその日は雨になるという、今日は、羊雲が出ているから明日の農作業はうまくいくだろうと心が晴れた
農業者として私は、失格の経路を歩んできたようです。
米の栽培と野菜の栽培を小規模経営でそれなりに有機栽培を習得し,健康な安全な農産物を栽培できればと心得ながら、ここ20年間やってきたつもりでした。
その結果,腎不全と診断されて3年間の透析生活をおくっています。
安全な農産物を栽培したとしても、ちゃんとした食生活を送っていたとはいえませんでした。飽食の時代に自制もなく飲み食い自由に無駄な時間を費やしていたようです。
闘病一年間は腎不全から来る諸症状と、悪慣習から生じるトラブルに苦しみました。
農業を営んでいなかったら最っとストレスをかかえていたかもしれません。 なんとか始めの一年は乗り越えることができました。
そして2~3年目は不思議と健康な日常生活ができるまで回復しました。 この期間に起こった出来事は導かれるままそれを実行した賜であると思います。私はいい出来事からばかりに恵みを受けたとは思いません、災いからも恵みを受けることができました。。また、人並みの健康を維持できるばかりでなく、病気の状態からも恵みをうけるようになったと判りました。
経済状態がいいわけではありませんが、悪くても良くても恵みをうけているようです。良くても悪くてもその状況に左右されることが無くなったということですね。
農作業と闘病と趣味から、変遷した生活を垣間見てみました。
それは11月になったある晴れた午後のことです。
稲刈りが終了し8月下旬に播種した秋野菜類が10月になると圃場を豊かに彩り、秋になったというのに夏を思わせる日中の日差しが農作業を困難にし、青空を徐々に変えていく淡い綿状の雲がどこからともなく出てくるのを気付きながら、空を仰ぐと西側一面に羊雲が覆っています。
この雲が羊雲と判明するには、透析時間の読書がなかったら天気予報の情報からは知ることはなかったでしょう。図書館から借りてきた気象の本の読後の記憶を手がかりにブログを書いています。
羊雲が青空に出ていて、他のいかにも怪しげな雲が出ていないときには、明日の天候は晴れになるそうです。稲刈り時期を終えてからの雨は、水田を裏作として耕すのに大変な労力を必要とします。
だから晴れの兆候が現れるとうれしい限りです、天気予報で1週間晴れの予報が出るよりうれしい、予報はコロコロ変わるし晴れマークなのに晴れない日が多々あるからです。
2~3年前の栽培方法といいますと農薬を使わない、除草剤を使用しない、化学肥料を使わない有機栽培にこだわっていました。季節と野菜の種類が制限されます、例えばキャベツ、ダイコン、人参は晩秋から初春においては無農薬栽培が可能です、初夏に栽培するナスビ、キュウリにおいてはそれも可能です、しかし長期に栽培するのは病害虫が栽培を困難にします。 そうなると年間の野菜を栽培する期間も制約されることになります。
稲の除草は農薬を使わず栽培できるようになりましたが、野菜に関する限り夏の雑草の繁茂が甚だしく除草時間を炎天下で励行することは命にかかわります。
闘病生活をしていて、より健康な農産物の栽培方法はないかと、自然栽培に切り替えようとしていました。その同じ時期RAPT理論というネット記事を読むようになり、世の中のからくりを理解するようになりました。自然農法のからくり~農業のからくりを知り、また菜食主義、玄米療法の罠を知り、のしかかっていた自爆からみるみるうちに解放されました。
稲作栽培では今までの有機質栽培で除草もできるようになりました。(20年間達成できなかったものです、完成したわけではないことを判りましたので後で記します。)
ここで大切なのは、慣行農法とか微生物農法とか先端技術を駆使した栽培を見直ししたからではないということです。栽培の基準とか作業、管理のありかた。シンプルに言うと働き者となれたからです。真面目に脇道にそれず人目を気にせず笑われようと、非難されようと勤勉に正攻法で取り組んだからです。
野菜においては栽培方法にこだわらなかったので自給率が3割から8~9割にアップしました、期間限定の野菜だけではなく年中とれると言う状況が達成しっつあるということです。ABCどこかの圃場(栽培している畑、田、ハウス内)にいけば農産物が栽培されているから収穫できます。無農薬、化学肥料を使用しないとなると自給率は低くなり、労働力が増します。
有機農法とか自然農法にはスピチュアルナな教えがつきもので、玄米主義とか菜食主義とか自然治癒力、断薬のすすめとかの民間療法がでてきます。この問いにもPAPT理論は答えてくました。
この呪縛からも私は解放されその結果、菜食にこだわっていたので野菜中心、肉を食べるこことを断つていた歳月が20年間ほど続いていました。肉をとるようになって料理のバリエーションが増えました。間違った薬の知識から担当の医師の処方された薬を服用しなかったので、血圧が200あり、治療に支障をかけていました。過ちに気付き、血圧も120に下がり、“断薬のすすめ”の間違いから解放され透析治療も効果をあらわし日常生活にも農作業にも、意欲が回復し健康な状態を維持しています。
この悟り(判るという経過)がなかったら、神経障害による手足の痺れ、思考の低下、アトピー症状、体力減退、視力低下、一命を取り止めたとしても怠惰な農業者のイメージを負いながら反社会的になっていたかもしれません。
「アリとキリギリス」のキリギリスになり、アリさんみたいに晩秋の畑に育った人参、白菜、キャベツの圃場を見回りながら、空一面に広がった羊雲を見て「明日は晴れるな」と思いながら明日の農作業の計画を立てることなどできなかったでしょう。
「悟り」という言葉に拒否反応を示されるかもしれませんが、この悟りを与えてくれたオリジナルはRAPT朝会の有料記事にありました。
闘病生活をおくりまた親の介護が重なり、今までの生活が一変し、はたまた社会の経済状態が悪化し暗いニュースばかり流れる世相に、これだけ希望を持って(人の目にどう映っているか判りませんが)日常を遅れるのはRAPT朝会有料記事を読んでの出来事です。
20代30代の若い世代が生き方、成功法を学ぶのはいざ知らず、還暦を過ぎた者が希望と言ったら笑われるかもしれませんが、嫌なことはあるにもかかわらず朝起きて一日が始まると、不思議と意欲がでてくるのです。
長い間スピリチュアル系にはまっていましたから、初めのうちは時間つぶしかなと思っていましたが、「罪の深さ」「スリルとサスペンス」「サタンの正体」「聖書の歴史」を知るに及び、聞き入るように学び、読み、祈り実行するようになりました。
宗教遍歴の多い私ですが、聖書を読む機会は60年間ありませんでした、ましてや聖書の封印を説かれた話など聞こうとは思ってもいませんでした。私と同じような自爆から解放されたい方は参考にしてください。
台風接近のため急遽、収穫することにしました。
台風が接近しています、風で倒されてしまうと寄り虫がして一夜にして被害を受け収量が落ちるし、手刈りになり労働が増すのでまだ収穫は早いのですが、刈ることにしました。朝から作業を開始したいのにこの日はあいにくの曇り、稲に朝露が残りコンバインが詰まるので、午後からになりました。
調子よくいくかなと思いきやオバーヒート、原因は送風口の目詰まりここ5~6年は動いてもらはないと、中古機購入にて説明書内がないのでその都度にて修理習得しています。中古機とは言っても20年使用したコンバインより性能は数段上、新品はもっと改良されています、隣の稲刈りは10アール30分で稲刈り終了、同時間に作業はじめて、私は同じ面積2時間かかりました。
早朝6時に業者さんが来てスズメバチの巣を採っていきました。
寒夜が良くなり朝早く起きられるくらい涼しくなった。6時頃、人の声がするので起きて見ると黄色い雨具に、黒い網をかぶった2人が2階から見えた、スズメバチを採取にきたようだ。
1人は剪定屋の親方さん、もう1人はかぶった網の中の顔は見えなかった。 2人に挨拶をした後、親方さんが「危ないので中にはいいてください」といったので2階にあがって作業を見守った。
殺虫剤を散布しながら枝を剪定し巣を採ろうとしている、ススメバチが飛び去り、薬が効いたハチは落ちている、数分すると作業は終わった。 巣は、直径20㎝ほど大きかった。木の皮を唾液でかためて作るらしい。
近年、他のハチの巣を見なくなったが、スズメバチはよく見るのはなぜだろう。ミツバチは攻撃した相手に針を刺すと死ぬと聞くが、スズメバチは死なないらしい。
樹齢100年とはいわないえのきの伐採が無事終わりました喜んだのは我が家だけでしょうか?
台風10号が九州を通過するが球磨人吉は、少し風が吹いただけで被害はありませんでした。しかし老木には、痛手だったようで一部が倒木してしまいました。
残りの大木も歩道に倒れる危険があるので、伐採することにしました。 一日目は先端の枝葉の切り落とし、交通規制をしながらの作業となりました。 二日目は12トン車クレーンの登場、剪定職人の熟練技とクレーン操縦のプロの慣れた操作の見せ所となりました。2~3日前の天気予報では雷雨とのこと、この地域は、雷が頻繁に落ちる場所なので、ましてやクレーンが標的になるのはあきらかなので心配でした、当日は曇り湿度は多いものの作業を遮る者もなく午前中に作業は無事終了しました。
樹齢100年を超す老木です、私の記憶の中には子供たちが巧みにこの木に登り、遊ぶための豆鉄砲の弾としてえのきの実をとり初夏集まってました。
また狭いながら牛の放牧所としても数年利用してました。夏には通りすがりの親子が木陰で休んでいる風景もありました。 晩秋には落ち葉そうじは大変でしたが、腐葉土が稲の生育を豊にしました。 ご苦労さまでした!!
今年は台風の当たり年なのでしょうか、ススメバチの巣がには木の中にありました。
今年はスーパーのシャイアンマスカットにひけをとらないできばえになってます!!
猛暑に年内に収穫できる野菜の種まきをしました。
日中の気温が30°Cを超える日がつづきます。12月に収穫できるキャベツの種まきは、適期時期をカタログで調べると7月下旬とのっている(暖地)、この頃の気候は、発芽、育苗、殺菌、殺虫に作用するので大変困難な管理が必要だったので、今までほとんどいい成果を上げたことはありませんでした。
年々夏場の気温が上昇する中、秋野菜を栽培するための夏場の種まきは、高冷地か、クウラー設備のあるハウス内にて管理しないといけないものと思っていました。知り合いのトルコキ キョウを栽培する完全冷房施設で育苗している農家さんに頼んで育苗したらこの猛暑にもいい苗ができるだろうなと、冷房施設の利用もありかなとか、実際ハウス内に寒冷紗を張り育苗してみました。 しかし、8月の猛暑には耐えられず、9月中旬以降の種まきになります。
それが今年は、簡単に播種(種まき)育苗ができました。 日陰の軒下で稲の育苗箱に種まき培養土を使い、キャベツを筋蒔き、散水し腐植網をかぶせ2日後には発芽、7月13日種まきでしたから一ヶ月後に本葉が大きくなりました。
この間、徒長(伸び過ぎ)しないようにと日に当てたり、コオロギ、ネキリムシに食害されないようにと粒剤を散布しました。無農薬にこだわっていたので食害に遭うことが現在までほとんど、最近は方針を変え農薬まいています。(食害にあうとくそ~となり、やる気なくなりますからね!)
この間台風8号来たので、被害に遭わないようにと移動場所を車庫の軽トラの荷台に移動したりと今回のキャベツの苗管理は気を遣っています。
台風10号無事通過、今回はハウス内に苗移動、1日の間に仮植(定植前に1度植え直す)できる大きさになっていました。
被害に遭ってもB級の甘いスイカ収穫中(B級というのは見た目が悪いと言うことです)
カラスとムジナの被害
トウモロコシ、ウリ、スイカは収穫まぎわになると食害に会う、場所をかえて栽培したので大丈夫と高をくくっていると全滅の危機に会う。カラスは堂々と昼間からトウモロコシを茎ごと倒しコーンを上手に残らずたいらげてしまう。昼間の出来事なのでカラスが荒らしている現場にいあわせることがある。人間が食べるより上手に食べる、不思議と未熟なものは残っている。
今年は、ビニールハウスないでトウモロコシを栽培してみたところ、完熟になって収穫しようと思っていたところころが食害されている、小鳥ははいる空間はあるが、カラスが入れる隙間はない、カラスと食い荒らしかたが違うのでムジナの被害かなと疑った。私は見たことがないのだが、家族の者が顔の長い動物を見たといっているので、ムジナかもしれない。
ムジナと聞けば小泉八雲の怪談話に出てくる妖怪が連想されるのだがアナグマと地域の人はいっている。
食害されたスイカ
田植え後23日目、ヒエが生えていません!!
この水田は農薬除草剤なしで除草励行して6年目になりました。次のことをやってみました!!おかげがあったようです。
①冬の間に水田内の高低差を見極め高いところの土を、低いところに移動する。(昨年水をはった状態に水面から土が見えているところに印のポールを立てておく)
②代掻きから一週間~10日ほど冠水し本代掻きをする。
③田植えは水がひたひたの状態で田植えをします。もちろん均平に代掻きしましょう。
④田植えからひたひたの水加減を10日間維持しましょう。水を当てるとジャンボタニヒエが出てきますが大丈夫です。②の状態の時ジャンボが1~2個/1㎡いるとOKです。
⑤一週間いないに田植え機が移植してないところ、また食害があった部分を捕植します。結構きつい作業です。
⑥補植が終了したらイネがつからないように水をあてます。土に隠れていたタニシが出てきてヒエをたべはじめます。
⑦それでもしつこいヒエは手で取るしかありません。
ピンク色のつぼみはジャンボタニシの卵
梅雨のヒマワリは一週間ほど咲いているかな?
九州南部を襲った7月4日の豪雨をTV各局が報道していた。読売放送が熊本県人吉市の中州(中川原)を実況中継していて、気象レーダーのシュミレートに不安を感じないわけにいかなかった。実際人吉市には緊急避難勧告がでていた。
球磨川が濁流ともなると中川原の公園は浸かって見えないはずなのに放映されている。「地元の人の証言では昭和40年に起きた大水害に雨の降り方が似ている」といっていだが夕方から雨脚は弱まり先日の雨音は消えてしまった。
翌日、ヒマワリが心配だったので早朝でかけてみると、9割近くが開花しているそれも倒伏も1割ほど、光がさせば映えるだろうなと思い、5時頃いってみる夏空にヒマワリが映えていた。そこで不思議に思ったことは朝の花の向きと午後の花の向きが変わっていないのだ?ヒマワリは太陽の向きにあわせて花の向きを移動するのではなかったのかな?その習性に気付いた時には驚きがあった。10月下旬ともなるとその習性はみられなかった、品種によっても差があるのだろうか?
梅雨は天気予報によると例年より早いといっているけども雨が続くと見所も終わりかなと思った。花を自由にとってもいいですよと呼びかけたが、周囲が雑草が伸び放題になっているので、水田のあぜ払い(あぜ草刈り)をかねてヒマワリの下草をかった。ヒマワリで検索していたらこの曲がでてきた。
今年は田植え機の故障で田植えが遅れました。不幸中の幸いでしょうか?稲の除草がうまくいっている!
カボチャが夏草の茂みから顔をのぞかせている
ラグビーボール大のロンロンカボチャ
初夏の収穫カボチャは日焼けすることはないが、真夏8月の完熟期を迎えたカボチャは、良く日焼けに合う。その対策に今回は、苗を定植すると同時に小麦とソルゴーを播種した。
依然としてこの畑は除草対策も効き目がなく夏草が繁茂している。にもかかわらず、その茂みがカボチャを猛暑から守ってくれたようです。日焼けがひどい時には、表皮だけではなく果実の種の部分まで腐敗してしまうので、雑草がカボチャを守ってくれています。
2メートルも雑草が伸びると畑というより耕作放棄地と見間違えてしますよ。正直言って、この状態を見るのは見て見かねますね。放任栽培のカボチャにとってはベターの畑になっているようです。
早速2品ほど料理してみました、1つは肉じゃがならぬ肉カボチャ2つめはカボチャコロッケ、肉カボチャはまぁまぁのできでした。
学童クラブの農業体験を手伝っている頃、年間行事にハロウィンの祝いが入るようになりました。そのためにジャンボ・カボチャを栽培しようと10月下旬に収穫できるように真夏に播種しますが、2年続きで日照りに遭い見る影もなく草地となったことありましたね。
ハロインはもともと悪魔崇拝の儀式だった
ハロインは秋の収穫期に子供たちが家々を回りお菓子をもらい収穫を祝う祭典として、各地で普及しています。魔女、お化け、最近では強烈なゾンビグッズまで登場し一般化しっつあります。
「マインド・コントロール」(池田整治著)による洗脳は子供たちにお菓子をあたえることによって糖尿病の予備軍を育てるための政策なので、それを知ったうえで祭りに参加するのはいいけれどもという趣旨のことが書かれていました。
ところがハロインの起源の事実を知るとそうでもなさそうです。 リンク先を掲載します。 ハロウィンはもともと悪魔崇拝者たちの行う生贄儀式でした。